土曜日, 11月 05, 2011

「不可能」 を 『可能』 にしていく 人と人との協力づくり

杭州市政府の若手職員の心意気

☆ 2011年10月28日と29日の両日、浙江省は杭州で開催中の〝第2回杭州余暇博覧会〟の野外ステージに、わが〝瀬戸第九をうたう会〟はじめ日本全国から集まって編成した日本瀬戸第九合唱団が登場しました。
☆ さて、今回のレポートの焦点は、野外舞台で活躍したグランドピアノ。
 縁あって余暇博覧会に協力することになって、主催者である杭州市政府の担当者と現地で打ち合わせました。そのスタッフの中の人なつこい若者が現場のリーダーとなり、日頃のメールの往復の窓口もつとめるところとなりました。
☆ 開催日も近くなってのこと。その若者からメールが来信しました。
曰く「グランドピアノは用意できません。演奏会場に車両の乗り入れができず、重量物は到底運び込めないのです。小型のピアノに致します。」
日本から返信メールを送りました。
「了解しました。」
「どんなピアノでも構いません。目的はオーケストラの演奏に代えるピアノ伴奏ですので、一台のピアノを2人掛かりで弾く連弾を可能にすることです。88鍵以上あればよいのです。」

☆ これに対する何の返信メールもなく、当日の本番に至りました。
その朝、事前練習のために会場を訪れると、何と例の若者が指揮して道路からステージまでの2~300メートルの距離をエッサエッサと十数名でグランドピアノを担ぎ歩いて運び込んでいるではないか!
しかも、フルコンサートの大型グランドピアノを!!
演奏会は盛況の裡に成功。「歴史が切り裂いたものを再び結びあわす。全ての人間は兄弟になる・・・・」とのシラーの詩をピアノ連弾の迫力ある伴奏で歌い上げるなかで、日本の合唱団と中国の観衆との間に心が通いあいました。
☆ 下支えする者どうしの相互理解、そして前向きに物事を進めようとする心意気、その上で「不可能」を『可能』にしていく人と人との協力づくり、等々に眼を見張りました。
民間外交の一隅たらんとする文化交流のなかから、明るい将来を確信する出来ごとが生まれたとの想いを深くいたしました。

火曜日, 10月 25, 2011

人間を大切にする社会への扉をこじ開ける


ラベルライターに関する発明をしたブラザーの社員と元社員とが、社員発明の貢献による適正な対価の支払いを会社からうけるべきであるとして、地裁から高裁へ、そして最高裁で頑張ってきました。
東京高裁は東京地裁が命じた支払額の五割増しの支払いを命じましたが、この高裁判決がこのほど最高裁判所で確定するに至りました。
新聞報道によれば会社側は「決定内容は残念だが最高裁決定には従いたい」とコメント。
 この裁判、相談役を求められて戦略方面など支援しましたが、主力は当事務所の夏目武志弁護士と事務局の佐々木と松田の三名。得意めざす分野のひとつとして知財分野を選択して陶冶に努めていた夏目が、本人の酒井さん結城さんと文字通り三人四脚でここまで頑張り抜きました。
「大量生産基地」が海外移転を余儀なくするなか、国内ではその「開発基地」たる役目を担って雇用を確保する、これが我が国の活路のひとつであることは、今では、はっきりしてきています。
開発のひらめきやヒント、そして新たな工夫は、他でもない人間の考える力から生み出される。新興諸国に先行する開発は、先進国に相応しい〝より人間らしい生活〟であればこそ益々生まれる。
個人として尊重される「個人」どうしが対等に協力しあってこそ、真のチームワークの力が発揮されよう。
獅子をも飼い慣らす智恵、すなわち大脳をもつ本来の人間を大切にする社会への扉をこじ開ける裁判となりました。

何ごとも人組(ひとぐみ)から/京都『時代祭』をお手本に


秋の京都〝時代祭〟のことです。
午前中から平安神宮の境内のあちこちに刀や槍を手にした胴丸姿の足軽隊、本格的な鎧兜の武将、堂々の体躯の牛が曳く御所車、お公家さんやお姫様、たくさんの馬などなどが参集し始め、次第に活気が満ちはじめました。十時頃になると、順次、丸太町通を西に進んでスタート場所の京都御苑への移動が始まりました。
御苑に終結して待機するうち、正午となる。本番である。最先頭部に行列の名誉奉行の馬車二両が出る。一両目には京都の府・市各議会の議長さんが座乗され、次いで副知事さんや市長さんが座乗される二両目が続きます。
で、この馬車の御者は誰?どこかで見た姿かたちでは??
御苑の広々とした砂利道を行列は進みはじめる。烏丸通を南下して東に折れると、両側の特設桟敷の内外が見物の人々で埋まる御池通である。真ん中を馬蹄も軽やかに進む。姿勢を正して御者台からみる京都はことのほか爽やか。思わず空を仰ぐ。河原町通そして三条大橋をわたる頃には道幅も狭くなり沿道の人々と馬車上のやんごとなき方々とが互いに声を掛け合うと、御者までがニッコリとしてしまいました。ラストは、神宮通を次第に迫る正面の大鳥居を見て北上し平安神宮に帰り着いて、互いにお役目ご苦労様となりました。
さて、この時代祭の行列、例の鼓笛と共に進む維新の官軍に始まり、歴史を順に辿って藤原そして延暦時代にまで遡る一大絵巻である。各時代を象徴するそれぞれの行列は、これを京都の市民の皆さんが学区単位で組織をつくって編成。練習に練習を重ねて出場を受け持ちあっておられるというからすごいと思いました。時代考証に忠実な衣装・装具を再現する伝統技術を保存し成り立たせる、その資金創りも一大運動となるようです。
京都三大祭りの〆、秋の時代祭はこうして催される。
舞台裏の一端から参加させていただき、京都の真の強みはこの住民力であることに気付きました。わが郷土のまちおこしも、実は、市民の人おこしであるべきことを、そして何ごともそのベースが〝人組〟にあることを、お手本に触れて学ぶ秋の一日となりました。

日曜日, 9月 11, 2011

社)日中法務交流・協力日本機構、大連でセミナー開催



現地法人の企業再編と問題点

 去る9月8日、大連日航ホテルでセミナーを開きました。

報告者は、私どもの法律事務所大連代表処の首席代表・中島宏治弁護士(大阪・法円坂法律事務所)。加えて、社団法人日中法務交流・協力日本機構(ILN)が実務協力協定を結ぶ大連の于虹弁護士ならびに劉同強弁護士が中国側講師として報告。

中国に進出した日系企業が、中国から撤退せざるを得ない。こうした場合の、株式譲渡や解散そして破産などの方法などについて学びました。中国の法制と実情そして司法の状況などを踏まえた実践編として、その問題点と対応策に関する真摯な研究の機会となりました。

この他、徳永事務局長の司会の下、ILNの菅原哲朗書記長が纏めに、稲田堅太郎理事長がスカイプによる法律相談の説明に、それぞれあたりました。会長の加藤は、上海→杭州 経由で大連入りし、ILNの紹介をさせていただきました。

土曜日, 9月 03, 2011

志ある何者かが南宋と瀬戸とを結んだことには違いがない


古くて新しい物語のはじまり

知る人ぞ知る藤四郎伝説。時は鎌倉時代、曹洞宗の開祖道元禅師に同行して宋にわたって施釉陶器の製法を学んで帰国した加藤藤四郎景正が、優良な陶土が産出する地域を探して瀬戸に辿りつき、以来、瀬戸の施釉陶器の歴史が始まった、とされる。その学んだ先の南宋の都こそ、杭州。

杭州の博物館で宋朝の陶器を見ると、何と瀬戸の陶器に通ずるものだとピンと判る。藤四郎その人の実在が問われているけれども、こうした物的資料からすると、志ある何者かが南宋と瀬戸とを結んだことには違いがない。

ところで、今年2011年10月29日と30日の両日、瀬戸第九をうたう会は、日本全国の仲間とともに、かつての南宋の都〝杭州〟で、杭州余暇博組織委員会の主催のもと、ベートーヴェン作曲・交響曲第九番の合唱を披露することに。
「時代の潮流が残酷に切り裂いたものを、再び結びあわす。すべての人間は兄弟になる。」(合唱詩)とうたいあげます。

瀬戸と杭州、わたくしたちの地域と世界の古くて新しい物語のはじまりです。

(写真は、瀬戸公園内の「陶祖碑」/藤四郎伝説を刻む巨大な陶製モニュメント)

金曜日, 7月 08, 2011

混沌の夜明け



一見、混沌のごとし


だが、それは夜明けならばこその景色


遠くの様でも、


その奥に時代の架け橋が見えてくる

土曜日, 6月 25, 2011

壺中の華



旅に出る。
「日常世界」から出てこれを外から見直す。
咲いたつもりでも壺中の華だと気付く。

それを知って懸命に生きる。

人は先ずは動物。
壺外に出られる。
更に、人は考える。
動き、かつ、考えれば、壺外と繋がりあうことが出来る。

壺中の華だと気付けば次がある。

土曜日, 5月 28, 2011

盛者必衰



刻まれたマークは「M」と「I」を組み合わせた社章である。
「M」は云わずと知れた「満」の頭文字。そして「I」は鉄道レールの断面。
20世紀の前半期、この杯を手にした人々は誰と誰であったろうか ? どういう心で杯を乾したのだろうか ?
想いを馳せて記念に入手して帰国しました。
「権」と「金」の力で支えられた物事はたとえ一世を風靡しても永続は出来ない。ましてや将来の展望を拓くものにあらず。それを拓くのは真実と正義そして人道である。

時を経て20世紀後半時代、またもや同様の力を奢って「盛者」の世を造り出したがゆえに、21世紀に入った今、将来の時間までをも犠牲にする大きな破綻を招いている。

だが、真実と正義そして人道は永くは閉じ込められてはいない。
将来に乾杯!

月曜日, 5月 02, 2011

耐え忍べばやがて春

激甚の底
制御不能の怪物
運授かりし者
諦めず
力あわせて
生き抜く


運に感謝し
その使命を覚る


耐えて忍んで生き抜けば
やがてはめぐり来る春のおとづれ
あきらめず、力あわせて生き抜く

日曜日, 2月 06, 2011

三人官女



子供が描く夢、その視界


お雛祭りの季節がやってきます。陶磁器のまち、わが瀬戸では熟練・新進それぞれの作家さんたちが陶びなの新作で競いあい、そして産地全体の魅力を高める。
その99%が大小様々な内裏雛。
家々にお内裏様だけを飾ると、それと暮らす子供たちの脳裏には「仲のよい夫婦」がそのあこがれとして刻まれる。それ自体はすばらしいことだし、皆々そうしたあこがれを抱いて成長していって欲しい。
そこで、更に欲が出てきました。
「世界は二人だけ」では十分には生きられないし、もとより「世界は二人のためだけ」にあるのではない。そう、チームで協力しあうことを忘れてはならない。
これを古流に表現すれば、内裏様は内裏様だけでは幸せになれない、ということ。三人官女の支えあればこその内裏様なのだ。また、三人官女も亦、内裏様を押し立てればこそ、世界広く生きてゆかれる。これからの時代にふさわしく表現すれば、チーム力です。
幼少の頃から、こうしたチーム力に視野が開けるよう、飾り物にも、それがあこがれを脳裏に刻むものであればこそ、考えをこらしたい。
で、陶雛コーナーでは見つからなかったけれど、他のコーナーの陶人形の中から三人官女を募集してこれを編成した次第。




月曜日, 1月 03, 2011

中小企業で国民経済の展望を拓く

起業めざす有志が住みたくなる地域づくりを

スモール&ミドルビジネス、そしてマイクロビジネスが、これからのわが国民経済の展望を切り拓くに違いない。それが雇用の7~8割を確保し、また新しい商品やサービスを創造する源泉であるからだ。

  『中小企業は日本経済の根幹!』
  2002年と2008年の二度にわたるEU視察・交流を踏まえて、同友会は中小企業憲章制定運動をおこし、こう宣言しました。そして2010年夏、ついに日本政府が政府版「中小企業憲章」を閣議決定するにおよび、運動は一つの画期に到達しました。

識者も指摘しています。「米国では真に実力ある者の約半数は大企業や役所でなくベンチャーで社会に挑戦」(精華大学紺野大介教授)。
また、昨秋、中小企業家同友会の有志とともに視察・交流に訪れたアメリカ連邦中小企業庁(SBA)のレクチャーでも、「この間、アメリカ人の思考方法に大転換が起きてきている。大企業は嫌い。パパママ経営が好き。」「それは、大手は雇用削減で生き残りをはかる。他方、中小企業は地元の雇用を維持するからだ。」との報告に接する。
今や、EUでもアメリカでも活路は中小企業。
そして、今日のアメリカは明日の日本。日本でも確実に国民各界各層の中小企業観が変わる。
中小企業で頑張る経営者と働く人々、中小企業の起業めざす有志、こうした人々が住みたくなる地域そして日本社会づくりに、ひとりひとりが努力し協力しあう、そうした努力がわが国民経済の展望を切り拓くに違いないと確信して進みます。

日曜日, 1月 02, 2011

2011年を迎えて

自らの立ち位置を知る

 
あらためて、自らの立ち位置を知るよう、今一度ふり返る

その立ち位置にあっては、最早 行うべきでないことを行わず

その立ち位置にあって、今から行うべきことを行う


その新たな使命に謙虚に挑戦して自らを変化させ

みんなが生きた甲斐ある人生をおくることができるよう、その目的に貢献しあう

こころ新たに2011年の新年を迎えます