火曜日, 8月 18, 2009



西田 博 後援会25周年記念の集い

 ロンドン・ロイヤルフィルハーモニーの
  木管奏者4氏を瀬戸に招聘
 


瀬戸出身のバイオリン奏者・西田博さんの後援会は発足以来25年の歴史を刻んで参りました。
 これを記念して下記の通り記念の集いを催します。
詳細は、右の案内チラシをクリックください。

  〔  時  〕
   2009年9月28日 
   PM6:30開場 6:45開演
  〔場  所〕
   せとしんエンゼルホール
   名鉄瀬戸線・新瀬戸駅北
   瀬戸信用金庫本店)
  〔参加資格〕
   後援会員限定/
  〔会員登録について〕
   右の案内チラシをクリックしてご覧ください。     
 

日曜日, 4月 19, 2009


 運命の困難は、
    これを瀬戸でも乗り越える

    瀬戸市民オーケストラ・定期演奏会のご案内

 ベートーヴェン作曲・交響曲第5番「運命」が、瀬戸が市となって80年を迎えたこの年に、その市民によるオーケストラによって演奏されることに、それこそ運命的なものを感じます。
 時あたかも、世界規模の経済危機と云う「運命」が、激しくわが郷土の扉をも叩く音が聞こえるからでしょう(第一楽章)。
 だが、この交響曲は第一楽章だけで終わってしまうものではありません。
 「運命」に対峙し、あわてず、あせらず、あきらめず、活路を探る深い瞑想の日々を堪え忍ぶなかで(第二楽章)、
 様々な可能性を見いだして、多様な挑戦を試み(第三楽章)、
 力をあわせて遂に活路を拓いて運命に打ち勝つ!(第四楽章)というのが、
ベートーヴェン作曲・交響曲第5番「運命」が示唆するところではないでしょうか?
 郷土が育む「瀬戸市民オーケストラ」の今回の演奏が、未曾有の経済危機による運命をこの瀬戸でも乗り越える、互いの勇気と気概を奮い起こしあう、その一助となれば幸いです。


 チケットのご入り用の方はkato@daiichi-law.gr.jp までご連絡ください。演奏会場の瀬戸文化センターは、こちら→http://www.city.seto.aichi.jp/sosiki/bunkac/index.html

土曜日, 4月 18, 2009


活人法務帳(09-1)
「見えるマッキンリー」 と
      「見えざる活路」

  挑 む 心 に 変 わ り な し
 企業再生の活路を拓く歩みは、マッキンリーを登る歩みに似たり。
 愛知県下のA店。平成元年のバブル上昇絶頂期に、銀行融資により敷地を購入して自社店舗ビルを新築。程なくバブルがハジケて、残る過大債務に足を取られる。平成19年初頭まで頑張ったが遂に力尽きる。融資金の返済はまだ1億7千万円余も残るのに、物件は値下がりして価格は6千万円そこそこに。
 「何とかして活き残りたい」との願いにより、依頼を受ける。シニアの加藤洪太郎弁護士、若手の中山弦弁護士、練達の事務局員村井秀樹と岩本学の4名で支援チームを編成。プロジェクトの行動開始!以下はその成功までの約2年間の歩みである。
 一方で、『子』を含めて新たな経営計画を練り上げ、果敢に仕事を続けて売り上げ向上に成功。これを踏まえて『子』による物件買いなおし資金の融資を求めて金融機関を回る。努力が実ってある地方銀行の理解を得て、数千万円の新規融資の実現をみる。
 他方、『親』はあえて過大債務の返済をストップ。融資した銀行は債権を抵当権ともども大手サービサーに譲渡。頑として譲らぬサービサー相手の交渉は難航し、特定調停→競売開始の強行→競売停止決定→サービサーのあり方に対する戦略的批判、等々の経過を経て遂に6千万円余の弁済でもって残りの債務1億1千万円余を免除することで調停成立。
 新規融資を受けた『子』が物件を買いなおし、『親』は『子』に物件を売ったお金でサービサーと決着。バブルの負の遺産から全て解放され、活路を得た。
 ① 積極的経営計画の策定とその実践、② 新規融資の獲得、③ 旧債務の大幅減額、この三つの山を全て登り得てこそ拓ける活路であった。支援チームのメンバー各自の創造的力量の発揮、そのチーム力の発揮、根底にある依頼者への深いシンパシィーが、依頼者の「活き残りたい」との願いを支え、更には「この支援チームとともにあれば願いは実現する」との信頼と信念を生みだし、遂には、依頼者と支援チームとのコラボレーションは、銀行や裁判所そしてサービサーの各関係者の心を動かし、道なきに活路を拓いて目的地に到達した。
 マッキンリー登頂は目に見える山への挑戦、今回の活路開拓プロジェクトは目に見えない難路への挑戦。何れも、希望・奇跡・感動・連帯をもたらす挑戦心においては変わるところがない。

日曜日, 1月 11, 2009


’09年 明けましておめでとうございます!

 

   変わるときには変る


 一面の耕作地に続く耕作地。百年も千年も続いただろうに。

 ジェイムズワットが蒸気機関を発明するや、「それ毛織物生産だ!」とばかりに農地は一転して羊を飼う放牧場に。景色は一変して牧草地に続く牧草地へ。

 様々な場で、従来の人と新しい人との交代劇があったのだろう。担い手も変わる。

 で、21世紀初頭の世界を席巻した「市場経済原理主義」「ルール(規制)なき自由競争至上主義」の終焉のその先には如何なる世界がひらけるか?

 いや、拓くのか。それは主権者ひとりひとりが自らそしてともに考え、力をあわせて実現するのだろう。2009年の幕開けはトンネルの中ですが、その先の明かりが見えるようです。